社会不適合者が有名ブロガーになるまで(仮)

目標:ブロガーになって仕事を辞める

コミュニティの中の人数が多い方が楽

学校や職場など、基本的に生きる上で人間は何らかのコミュニティに属しなければなりません。コミュニティの中の人数が多い、少ないあると思いますが、コミュニティに属する人数が少ないと居場所を見つけづらいくなります。例えば、ある程度の規模の大学を卒業して、小さい職場に就職したとします。そしたら、関わることができる人間は、大学より遥かに減ります。その中でひとたび嫌われると、それを取り戻すのには時間がかかります。大学では、大きなコミュニティの中にある小さなコミュニティ、すなわちサークルなどで人間関係が崩れた場合でも、他のサークルなどに逃げ場があり、また、人間関係を断ち切っても問題なく過ごすことができ、選択肢も多く存在します。しかし、会社の人間とは基本的に辞めるまでずっと付き合わなければなりません。小規模の会社の場合は最悪です。陰口を言われたり、無理難題を押し付けられたり、パワハラなども頻繁にあるかもしれません。だから、社会に向いていない、円滑な人間関係を構築するのが苦手な人は大きめの会社に就職するのをおすすめします。

基礎と応用

どこに行っても、基本や基礎が大事。って事を言われると思います。私は基礎が大切と思ったことはほぼありません。結局、基礎が出来ていても応用ができないと意味がありません。なぜなら基礎だけできるって事は、悪く言えば簡単な事しかできないっていうことです。私は、まず応用からだと思っています。例えば、哲学を一から学ぼうとして、哲学入門みたいな本をまず読むのではなく、深いところをついた哲学の本を読んで、徐々に簡単な本を読んでいく....。そしたら、既出の分野などは、読み飛ばす事ができます。その方が効率がいいと思います。仕事も同じ事で、難しいことや応用からまずしていけば、後々楽になるんじゃないかと思います。基本に拘りすぎてもあまり良いとは思えません。

社会とYouTuber

社会不適合者って一口に言っても、定義は人それぞれだと思います。私が定義する社会不適合者は、組織で働くことが向いていない人のことです。私も実際そうです。会社は、基本的に組織として機能しています。一つのチームの中に、部下がいたり上司がいたりします。そしてその上に社長がいて、上からの命令でだいたいが回っています。組織で働くということは、上司に忠実な人でなければなりません。私は、指示されるのが大嫌いなので、完全に組織で働く事に向いていない社会不適合者です。それに対してYouTuberなどは、自分(二人やグループの場合も含む)の好きなように、動画投稿し、休みたかったら休み、基本的に上からの指示もなく(事務所に入っている場合はわからないが...)自由度が高いです。また、組織の中で機能できなくても、歌が上手かったり、ユーモアがあったり、容姿が良かったりすれば、それだけで飯を食っていけます。逆に、会社員は、何か特技があったとしても、それを出す事ができる会社じゃないと全く意味がありません。宝の持ち腐れです。それに、素直じゃなければ社会では上手く生きることができません。指示を忠実に受け、そして、気を利かせる事ができる人間が高く評価されるのです。

すべきという言葉について

〜すべきである。私はこの言葉、あまり好きではありません。なぜなら、すべきって自分の中だけにつくられた固定観念みたいなものだからです。すべきっていうのが自分の中だけで完結するのならまだしも、人に自分の中のすべきを押し付ける人がいます。それは、完全なる自己中心主義です。人間の多くは、自分の中に信念を少なからず持っているはずです。それを無理矢理曲げさせようとするって事じゃないですか。そうすると、幼い頃から自分の中で徐々に固まってきている自分っていうものが、また曖昧になってきてしまいます。世間の普遍的なすべきこと、自分の中だけにあるすべきことを混同していないか確認してみましょう。

環境を決めているのは結局自分

今の会社や、人間関係に不満を持っている人はたくさんいると思います。あの人のせいでこうなったとか、人のせいにしてしまうことって多いですよね。ですが、今の環境を決めているのは、自分自身です。結局、その会社を選んだのも、人間関係を構築してしまったのも自分です。今置かれている状況を変えたいと思うなら、自分が変わらない事には何も始まりません。会社を思いっきり辞めてみるとか、絶交するとか、そうまでしないと環境って中々変わりません。人間は試行錯誤しながら、成りたい自分になっていくんです。挫折や失敗を繰り返しながら...。自分の満足いく人生って中々見つけられません。自分がなりたかった職に就けたとしても、何か違うなって思ったり、その逆もあります。人間って一生かけて、アイデンティティを完成させていくんじゃないでしょうか。

期待されないぐらいがちょうどいい

期待されることって本当にプレッシャーです。この人ならできるだろうとか、そう思い込まれるのって私は苦痛です。だから、私は無力な自分を周りに見せるようにしています。別に本当は私はできる人間だと言っている訳ではありません。その方が楽なんです。自分は何でもできるって周りに思わせてしまうとその時点で、私に対しての期待という悪徳なものが、周りの人間に芽生えてしまいます。だから、失敗した時の、打撃はとてつもなく大きく感じます。逆に、自分はできないっていう事を周りが知っていれば、難解な事業など成し遂げた時に周りからの評価は当然高くなります。そう考えると、最初から高い評価の人はどんどんマイナス評価が積み重なっていき、最初から低い評価の人は、何か成功するたびにどんどん評価が上がっていきます。自分の無力さを周りに出すことも重要です。

人生の脱構築

自分の性格などを根本的に変えたいと思った事はありますか。私は何回もあります。出来ることなら小学生、中学生の頃からやり直したいって思っています。性格や人間関係など今まで積み上げられたものに対して後悔しています。

過去にタイムスリップはできないけど、新しい人生を踏み出す方法ならあります。それは自分の事を誰も知らない土地に行くことです。知り合いがいる限り、自分自身のキャラは彼らの中に固定されてしまっていて、自分を変えようとしてもなかなか変える事はできません。この人はこういう人なんだっていうある種の固定観念ができあがっているんです。しかし、知り合いのいない土地に行けば、今までのキャラ、性格、人間関係を一旦崩して、成りたい自分を一から作りあげる事ができるんです。そうすることで、新しい自分、本当の自分に出会うことができるかしれません。