社会不適合者が有名ブロガーになるまで(仮)

目標:ブロガーになって仕事を辞める

居心地の良い場所は人によって違う

この会社は他の会社と比べていい。これって、人によりませんか。ある人にとって居心地が良かったとしても、ある人にとってはとても居心地が悪いことだってあるんです。例えば、賑やかな職場が嫌いな人はその職場が地獄になるわけで、その逆もあり得ます。結局、何かしらの評価は自分の中にある指標で決まるんです。だから、人が言う「〜は良い」っていう言葉は全く当てになりません。私自身も、会社の上司から、私が勤めている会社は雰囲気が良いから働きやすいって聞いてきましたが、その雰囲気の良さが、私にとっては受け付けないものでした。自分の評価を押し付けているだけじゃないかと感じます。結局、人間が持っている価値観は多種多様なので、自分の軸を基準にして、何かわ比べることは馬鹿げていると思いました。

言われた通りにやる事の辛さ

上から与えられた指示をその通りにやる。簡単だけど、これほどつまらない事は私はないと思う。誰が用意した枠組み、会社で言えば、社長の経営方針に従って、常に動く。言えば、常に存在している答えをいち早く探しているだけで、自分では何も生み出すことができていない。正解は、解く解かないに関わらず既に決定している。自分が正しいと思うことを、押し通すと、白い目で見られる。私はそこに違和感を感じる。

仕事のつまらない根本的な理由はこれだと思う。それができてしまう人は素直な人だと評価される事は言うまでもない。問いかけを自分で探求し、自分なりの答えを出すことができる自由な社風の会社に行けば、仕事を生きがいにできるかもしれない。

オタクに対する私の見方

オタクって、世間一般的に卑下されてるイメージですよね。一昔前まで、オタクに対する偏見で、太っていて、メガネで、臭くて...何ていうイメージが定着していました。しかし、価値観の多様化も相まって、オタクが一概に上記のような特性に当てはまらなくなってきていると思います。イケメンで高身長でみたいな人物も、何か一つの事に没頭していたり、詳しかったりすれば、オタクと見なされるわけです。私自身、オタクは卑下の対象ではなく、尊敬の対象です。何か一つのことに詳しくて、それを永遠に話し続ける事ができるっていうのは、素晴らしいことだと思います。

コミュニティの中の人数が多い方が楽

学校や職場など、基本的に生きる上で人間は何らかのコミュニティに属しなければなりません。コミュニティの中の人数が多い、少ないあると思いますが、コミュニティに属する人数が少ないと居場所を見つけづらいくなります。例えば、ある程度の規模の大学を卒業して、小さい職場に就職したとします。そしたら、関わることができる人間は、大学より遥かに減ります。その中でひとたび嫌われると、それを取り戻すのには時間がかかります。大学では、大きなコミュニティの中にある小さなコミュニティ、すなわちサークルなどで人間関係が崩れた場合でも、他のサークルなどに逃げ場があり、また、人間関係を断ち切っても問題なく過ごすことができ、選択肢も多く存在します。しかし、会社の人間とは基本的に辞めるまでずっと付き合わなければなりません。小規模の会社の場合は最悪です。陰口を言われたり、無理難題を押し付けられたり、パワハラなども頻繁にあるかもしれません。だから、社会に向いていない、円滑な人間関係を構築するのが苦手な人は大きめの会社に就職するのをおすすめします。

基礎と応用

どこに行っても、基本や基礎が大事。って事を言われると思います。私は基礎が大切と思ったことはほぼありません。結局、基礎が出来ていても応用ができないと意味がありません。なぜなら基礎だけできるって事は、悪く言えば簡単な事しかできないっていうことです。私は、まず応用からだと思っています。例えば、哲学を一から学ぼうとして、哲学入門みたいな本をまず読むのではなく、深いところをついた哲学の本を読んで、徐々に簡単な本を読んでいく....。そしたら、既出の分野などは、読み飛ばす事ができます。その方が効率がいいと思います。仕事も同じ事で、難しいことや応用からまずしていけば、後々楽になるんじゃないかと思います。基本に拘りすぎてもあまり良いとは思えません。

社会とYouTuber

社会不適合者って一口に言っても、定義は人それぞれだと思います。私が定義する社会不適合者は、組織で働くことが向いていない人のことです。私も実際そうです。会社は、基本的に組織として機能しています。一つのチームの中に、部下がいたり上司がいたりします。そしてその上に社長がいて、上からの命令でだいたいが回っています。組織で働くということは、上司に忠実な人でなければなりません。私は、指示されるのが大嫌いなので、完全に組織で働く事に向いていない社会不適合者です。それに対してYouTuberなどは、自分(二人やグループの場合も含む)の好きなように、動画投稿し、休みたかったら休み、基本的に上からの指示もなく(事務所に入っている場合はわからないが...)自由度が高いです。また、組織の中で機能できなくても、歌が上手かったり、ユーモアがあったり、容姿が良かったりすれば、それだけで飯を食っていけます。逆に、会社員は、何か特技があったとしても、それを出す事ができる会社じゃないと全く意味がありません。宝の持ち腐れです。それに、素直じゃなければ社会では上手く生きることができません。指示を忠実に受け、そして、気を利かせる事ができる人間が高く評価されるのです。

すべきという言葉について

〜すべきである。私はこの言葉、あまり好きではありません。なぜなら、すべきって自分の中だけにつくられた固定観念みたいなものだからです。すべきっていうのが自分の中だけで完結するのならまだしも、人に自分の中のすべきを押し付ける人がいます。それは、完全なる自己中心主義です。人間の多くは、自分の中に信念を少なからず持っているはずです。それを無理矢理曲げさせようとするって事じゃないですか。そうすると、幼い頃から自分の中で徐々に固まってきている自分っていうものが、また曖昧になってきてしまいます。世間の普遍的なすべきこと、自分の中だけにあるすべきことを混同していないか確認してみましょう。